ゆ〜きさん 作


「うっ、ぎゃあああああっっっ?!!!!!!」
 平凡なはずの休日に、突如として響き渡るご近所迷惑。
 その日は、浩平の絶叫から始まった。





『ONE DAY'S MEMORY・詩子』







「うおおおっっっ!!!」
 だだだだだだだだだっっっ!!!
 まだ寝癖のついている髪を手櫛で無理矢理撫で付けながら、浩平は待ち合わせ場所へと全力疾走していた。
 出がけに持ってきた菓子パンを器用に口だけで頬張りながら、商店街を突っ切っていつもの道に出る。
 道行く人たちが何事かと振り向くのが視界の端を掠めるが、構ってはいられない。
「ん、んぐぅっ!?」
 慌てた所為でパンが喉に詰まってしまうが、それにも構っていられない。
 真っ赤な顔のまま必死の形相でひた走る。
「むんんん〜〜〜!!!」
 それもそのはず。
 今日は詩子と茜と遊びに行く約束をしていたのだ。

 といっても、別に前々からの予定というわけではない。
 最近は詩子と二人っきりでデートすることが多かったので、先日、
『今度は三人で何処かに遊びに行きたいね』
 という話題が二人の間にあがったのだ。
 それ自体は別に珍しいことではない。
 が、昨日詩子から突然電話がかかってきて、
「明日みんなで遊びに行くことに決めたから、十時にいつもの場所でねっ!」
 と、言われたときには、流石にちょっと驚いた。
 まあ、特に予定もなかったことだし、詩子の唐突さにも慣れている浩平は、二つ返事でOKしたのだ。
 そこまではよかったのだが…。
「まさか、今日に限って寝坊するとはぁぁぁっっっ!」
 頭を抱えて叫びながらも、浩平の足は止まらない。
 普段詩子とのデートの時に時間ギリギリに行くことが多く、罰として様々なペナルティを課せられた教訓から、昨日はかなり余裕を持って準備したのだが、それが仇になった。
 いつもよりゆっくりと準備(といっても財布の中身を確認するだけだが)をして、のんびりと風呂にも入ってベッドに向かった結果。
 リラックスし過ぎて、体が休日モードに突入してしまったらしい。
 思いっきり爆睡してしまい、気が付いてみれば約束の時間ちょうどだった。
 今、浩平の頭の中をリフレインしているのは、今までに課せられたペナルティの数々。
『一日荷物持ち』
 という軽いモノから、重いモノは、
『山葉堂の激甘ワッフル・詰め合わせセット完食』
 という世にも恐ろしいモノまで、そのバリエーションは多岐に渡っている。
 そのことを思えば、恐ろしくて遅刻などできたものではない。
 だと言うのに。
 人生は無情だ…。
 漠然とそんなことを考えてみたりする。

「あと少しっ!」
 広場への階段を駆け上がって、浩平は待ち合わせ場所である、ベンチの前へと滑り込んだ。
 や、やっと着いた…。
「ぜぇっ、ぜぇっ…。ま、待たせたな、二人とも…」
 肩で激しく息をしながら、ベンチに座っている二人へと声をかける。
「もうっ、遅いよ、浩平」
「十六分の遅刻ですね」
 詩子は、むっとした様子で、茜は腕時計を眺めながら、それぞれ答えた。
「まったく、こんな可愛い女の子を、しかも二人を待たせるなんて」
「す、すまん…」
 普段なら何か軽口を返すところなのだが、今そんな余裕は残っていない。
「でもさ、これで今日は浩平のおごりだねっ」
 にっ、と笑みを浮かべて、詩子が言う。
「楽しみですね、詩子」
 同じく微笑みながら茜。
「とほほ」
 二人の笑顔の前に、浩平は、がくっ、と首を垂れるのだった。
「折原浩平、今月の不覚だ…」
 さようなら…、俺の夏目さん…。
 昨日までは暖かかったはずの財布が、急に寂しくなるのを感じる浩平だった。

「ところで今日は何処行くんだ? 俺は何も聞いてないけど」
 取りあえず気を取り直して(諦めたとも言う)、浩平は改めて今日の予定について聞いてみた。
 茜は? と振ってみるが、
「私も知りません。『行ってみてのお楽しみ』と詩子に聞いたきりで」
 どうやら今日の目的地は、詩子しか知らないらしい。
 まさか、俺のおごりなのをいいことに、メチャメチャ高い店に行ったりしないだろうな…。
 浩平の背中に冷たいものが走る。
 そんな浩平の心の内を知ってか知らずか、
「まあまあ、心配しないでついてきなさいって。いいお店教えてもらったんだから」
 詩子の口調は妙に楽しげだった。

  ***

「じゃ〜んっっっ!!! ここよっ!」
 詩子に先導されるままについていった先は、一軒の甘味処だった。
 ちょっと目立たないところにあるのだが、見た感じでは結構賑わっているようだ。
「あれ? こんな店あったっけか?」
 見覚えのない店構えに、首を傾げる浩平。
「どういうお店なんですか、詩子?」
「うん、何でもつい最近開店したお店らしくてね。見た目は和風な感じだけど、洋菓子も美味しいって評判のお店なんだって。しかも今なら期間限定でケーキバイキングまでやってるって話よ」
 あたし達で来るにはぴったりのお店でしょ? と詩子が胸を張る。
「まあ、確かに俺達にはおあつらえ向きだけど…。今からケーキ食うのか?」
「いいじゃないの。別にケーキしかないってわけじゃないみたいだし。十時のお茶兼ちょっと早めのお昼ご飯ってことで。それに、どうせ浩平は慌てて出てきてチョコパンくらいしか食べて来てないんでしょ?」
「な、何で分かったんだっ? しかもチョコだってとこまで」
 図星をさされて狼狽する浩平。
「浩平の行動くらいお見通しよ。それに、口の周りにチョコ、付いたまんまだしね」
 そう言ってイタズラっぽい笑みを浮かべて、詩子が頬をつっついてくる。
「ここと、ここ」
「うっ…」
 思わぬ詩子の行動に、なんだか気恥ずかしくなってしまい固まる浩平。
「ほら、動かないでね」
 詩子もちょっと頬を染めながら、ティッシュで口元を拭き取ってくれる。
 しゅっ、しゅっ、と薄いティッシュ越しに詩子の指先が当たってきて…。
「よ、っと…。はい、おしまい」
「…さんきゅ、詩子」
「どういたしまして」
 えへへ、と笑みを浮かべて照れる詩子。
 そのままどちらからともなく、見つめあい…。
「二人とも。いちゃつくのは勝手ですけど、もう少し時と場所を選んでください」
 別世界を作っている二人に、溜息混じりの茜の声がかかる。
 はっ、と我に返って辺りを見回せば、通行人ばかりか、店内の客からも注目を浴びていた。
『あ、あはは………』

  ***

 あたりからひそひそと聞こえてくる声は聞かなかったことにして、それぞれ食べたい物を取ってくると、三人は空いているテーブルに腰掛けた。
「さ、さてと。気を取り直して食べるとするか」
 まだ突き刺さってくる周囲の好奇の視線を無視しようと、あえて大きな声で浩平が言う。
 心なしか顔がまだ赤かったりする。
「そ、そうだね。食べよっか」
 そういう詩子の声もどことなく上擦っている。
「それじゃ、いただきましょう」
 そんな中で茜一人が普段と変わらない…、わけでもないらしく、微妙に頬が赤くなっていた。

「いっただっきま〜すっ! さ〜、食べるぞ〜」
「浩平、ずいぶん取ってきましたね」
 紅茶のポットを傾けながら、茜が浩平のお皿を覗き込む。
 定番のケーキ類を押さえつつ、ちょっと変わったシロモノまで、幅広いバリエーションのケーキがお皿の上に乗っかっている。
 その上試作メニューだというサンドイッチまで頼んでいるのだから、成長期恐るべし、である。
「そう言う茜だって、人のことは言えないんじゃないか…?」
 浩平の皿ほど山盛りになっているわけではないが、茜の目の前も極彩色に甘そうだった。
「そうですか?」
「まあ、茜らしいといえば茜らしいけどさ。ところで詩子は何取ってきたんだ?」
 さっきから妙に上機嫌な詩子に浩平が尋ねる。
「えっとね〜。ザッハトルテでしょ、ザッハトルテでしょ、ザッハトルテでしょ」
「それしかないんかいっ」」
 にっこにこ笑いながら答える詩子に、浩平は思いっきり突っ込んだ。
「なによ〜。ちゃんと全種類トッピングが違うんだから。これがパウダーシュガーでしょ、これがクロテッドクリームでしょ、そんでもってこれがブルーベリーソ−ス」
「ああ、もういいもういい」
「うらやましいなら、あたしの半分あげるよ?」
「いらんわっ」
 浩平は力一杯否定した。

「うわっ、美味しい!」
 ザッハトルテを一口食べてみて、詩子が賞賛の声をあげる。
「うん、確かにこれは美味いな」
「本当。もう少し甘くてもいいかも知れませんけど…美味しいです」
 お菓子に関してはうるさい茜にとっても、ここのケーキは満足できるレベルだったようだ。
 あれこれと取ってきたケーキを食べ比べている。
「茜の作るのと、どっちが美味しいだろうね」
 あむあむ、と二つ目のザッハトルテに取りかかりながら詩子が言う。
「私が作るのは、所詮素人の物ですから。お店の物とは比べものになりませんよ」
「そうかな? 俺は茜の作る方に一票入れるけど」
「うんうん。茜の作る料理は絶品だもんね。あたしも茜のが好きかな?」
「もう…、二人とも、おだてても何も出ませんよ?」
 照れているのか、茜は困り顔のまま頬を染めていた。
「でもさ、茜って料理してるときはすごく楽しそうにやってるよね。余裕もあるし、失敗とか全然しなさそうな感じ」
「ああ、それは確かに」
 なにぶん身の回りにいる知り合いの中では、茜は飛び抜けて料理が上手いので、言われてみればそういうイメージがある。
「そんなことありません。私だって失敗することは結構ありますから」
「本当に?」
「はい」
 口元をナプキンで拭いながら茜が答える。
「例えばどんな?」
「あ、あたしも興味あるなぁ、茜の失敗談」
「それは…あんまり人に話すような物じゃないです」
 ちょっと戸惑って茜が言う。
 流石にそういう物を人に話すのは気が進まないらしいが、
「いいだろ、後学のためにもさ」
「そうそう、別に減るもんじゃないんだし」
 浩平と詩子の二人にせがまれて、茜は、仕方ないですね、といったんフォークを置いた。

「あれは…、そうですね。一番酷かった失敗はまだお菓子作りを覚えたての頃でした」
 遠い目をしながら、茜がモノロ−グに入る。
「あの日、私は新しいケーキのレシピを買って貰ったので、早速それに挑戦してみたんです」
『ふんふん』
「それはちょっと材料と手順の複雑なケーキだったので、作るのに少し手間取ってしまったんですが…」
「分量を間違えて失敗した、とか?」
「いえ、出来自体はよかったんです。まだ試作品の段階だったんですけど、家族にも概ね好評でしたし」
「じゃあ、なんで?」
「けど…」
 ちょっと暗い口調になって茜が続ける。
「私には少し物足りないような気がしたんです。レシピには甘さ控えめ、と書いてあったので少し甘さを調節してみたんですが、それでも物足りない気がして。そこで私は…」
『うわあああっっっ!!! もういいっ。茜、ストップ!!!』
 放っておくと胸焼けトーク確定な茜の回想に、浩平と詩子は全力で『待った』をかけた。
「ここからがいいところなんですが…」
『いいえ、もう十分です、よく分かりました』
 異口同音に言って、同じように完璧なタイミングで首を横に振る二人。
「そうですか…。お菓子作りは分量が命だと言うことがよく分かった一件だったんですが…」
 どこか遠い目をして茜が言う。
 気のせいか何となく残念そうだった。
『ふぅっ…』
 茜の話を止めたられたことに、浩平と詩子は思わず安堵の溜息をつく。
 が。
「あ。そういえばこんな話もあって…」
『だあああっっっ!!!』
 何故か何時になく饒舌になっている茜に、二人は慌てて再度『待った』をかけたのだった。

  ***

「はぁ、食ったなぁ…」
 甘味処からの帰り道、三人並んで歩きながら浩平が呟いた。
「本当。あんまり美味しかったから、ついつい欲張って食べちゃった。でも、聞いてたとおりの美味しいお店でよかったよね」
 詩子も満足そうな表情で答える。
「お前はザッハトルテしか食べてなかったろうが」
「う〜、浩平の意地悪」
 そんな二人の掛け合いを見て、くすくす笑う茜。
「でも、本当に美味しかったです。浩平、詩子、いいお店に連れて行ってくれて、ありがとうございました」
「礼なら詩子に言ってやれ。こいつが見つけてきたんだしな」
「どういたしまして、茜。浩平がおごってくれたおかげで思いっきり食べられたしね」
 詩子は舌を、ちろっ、と出して、いたずらっぽく笑った。
「そうですね」
「そうだな。せいぜい感謝しろよ、詩子?」
「あ〜、何よ。元はといえば遅れてきた浩平が悪いんじゃない」
「なんだとっ」
 茜の前でさっきと同じような掛け合いが、また始まってしまう。
「もうっ、浩平。詩子」
 言いながらも、茜の顔は笑っていた。

  ***

「それじゃ、私はこっちですから。浩平、詩子。今日は本当にありがとうございました」
 自分の家のある道の方へと向かいながら、茜はぺこんと、頭を下げた。
「うん、あたしもすっごく楽しかったよ」
「久しぶりに三人ではしゃいだもんな」
「そうですね…」
 夕日に染まる小道の中で、茜は感慨深げに呟いた。
「また…。三人で集まって、こんなことしたいですね」
「…そうだな」
「また行こうよ。今度は澪ちゃんとかも誘ってさ」
「ああ、三人といわず、みんな誘ってケーキ食い放題だっ!」
「お〜っ!」
 浩平の言葉に、詩子がノってくる。
「ほらほら、茜もっ」
「え…。あ、…はい!」
 せぇのっ。
「またやるぞ〜っっっ!」
 浩平の音頭に
『おお〜〜〜っっっ!!!』
 詩子が、茜が、浩平が。
 一斉に声をあげて、その場はお開きになったのだった。

  ***

「さて、茜は帰っちゃったし、これからどうする? 送ってくか?」
 茜と別れた後、浩平はブラブラと商店街のはずれを歩きながら、傍らを歩く詩子に声をかけた。
「んん〜、どうしよ? 家に帰ってもすることないしなぁ…」
 どうせ明日も休みだし? と詩子は付け加える。
「浩平の家、行ってもいい?」
「そりゃ構わないけど…。いいのか? 知ってるだろうけど、なんにもないぞ?」
「嘘。ゴミと洗濯物がたまって、すっごいことになってるんじゃないの?」
「うぐっ」
 そう言われてみればその通りなのだった。
 家事は基本的に由紀子さんがやってくれてはいるが、年中いない人なので当てにはならない。
 そして今は、その当てにならないときなのだ。
「だから、あたしが行って特別サービスできれ〜いにしてあげる」
「…何か企んでないか?」
 胡散臭げな視線を詩子に向ける浩平。
 目の前の相手が数々の前科持ちである以上、ちょっと慎重になっている。
「あ〜、非道いっ。折角今日の浩平の苦労に報いてあげようと思ったのに」
「ありがとうございます、詩子様っ!」
 一瞬で、百八十度ほど態度が変わる浩平。
 流石の詩子も、その変わり身の速さに呆れ顔をしている。
「…ま、いいけどね。浩平が変なのはいつものことだし。じゃ、いこっか? 浩平」
 呆れ顔から、くすっ、と微笑とも苦笑ともつかない笑みを浮かべて。
 そのまま、タタッ、と浩平の家の方へ駆けていこうとする。
「ああ、それじゃ…って、おい、詩子。ちょっと待て」
「なに?」
 呼び止められ、詩子が肩越しに振り向く。
「お前、昼間に食べたクリーム、ほっぺたに付いたまんまだぞ?」
「え! うそっ、どこどこっ?」
 慌てて、ぺたぺたと自分の顔に手を伸ばす。
「ああ、違うって。ほら、俺が取ってやるから、じっとしてろ」
「う、うん」
 浩平の手が、詩子の頬へと近づいていって…。

 ちゅっ!

「………。きゃ、きゃあああっっっ!?」
「反応の遅い奴だな…」
 ワンテンポ遅れた詩子の行動に、浩平は呆れたように呟いた。
「だだ、だって、浩平がいきなりキスなんてしてくるからっ」
「ちゃんとクリームはとれたからな。昼間の俺にしてくれたことへのお返しだ」
 にっ、とイタズラ坊主の顔で浩平が笑う。
「あの時は俺も結構恥ずかしかったからな。これでおあいこだ」
 からかうような口調で、いかにも楽しそうに言って。
 詩子の怒り顔も、何処吹く風、という感じで笑みを浮かべた。
「ほら、早く来ないと置いてくぞっ」
「あ、こらっ。浩平、待て〜!!!」
「待てと言われて待つ奴はいないぞ、詩子っ」
「それでも待て〜」
 夕暮れの中でおいかけっこをしながら、二人のからかいあいはまだまだ続きそうだった。

  ***

 一週間ほどして…。

「なあ、詩子…」
「…なに、浩平?」
 汗ジト流しながら聞いた浩平に、詩子も同じく冷や汗を流しながら答えた。
「聞くが、何で俺達はこんなところにいるんだ…?」
「茜に、たまには私の家に遊びに来てください、って誘われたからよ…」
 今二人がいるのは、茜の家の応接間。
 浩平と詩子は丁度隣り合う形で、ソファーに腰掛けている。
「じゃあ、なんで長森達までいるんだ…?」
「茜に言われて、あたしと浩平が誘ったんじゃない…」
 周りを見回せば、正面を除くスペースに瑞佳、七瀬、繭、澪、みさき、雪見という面々が、テーブルを囲む形で腰掛けているのが見て取れる。
「そ、それじゃあ…。目の前にある『コレ』はいったい何なんだ…?」
 震える声と手で、浩平が恐る恐る目の前のテーブルに鎮座している物体を指差せば。
「茜、会心の、『力作』よ…」
 引きつった笑いを浮かべながら詩子が答えた。

「ねえねえ、浩平。コレほんとに全部里村さんが作ったの?」
 興味半分驚き半分、といった表情で尋ねる瑞佳。
「はぁ…、やっぱり乙女にとってお菓子作りは不可欠かしら…」
 その横では七瀬がなんだか妙に沈んだ様子で溜息をついている。
「みゅ〜っ、みゅ〜」
『すごいのっ』
 繭と澪は大はしゃぎしているし。
「う〜ん、美味しそうな匂いがいっぱいするね。雪ちゃん」
 みさき先輩はみさき先輩で、楽しそうな笑みを浮かべながらも、既にフォークを装備済み。
「そうかしら…? なんだか私はかえって胸焼けしそうな気がするんだけど…」
 かと思うと、深山先輩はなんだか気分が悪そうな顔をしていた。

「お待たせしました」
 巨大なティーポットを載せたワゴンを押しながら、茜がキッチンの方から顔を見せる。
 その顔には、嬉しくてたまらないという、子供のような笑顔が浮かんでいた。
「そのうちには、と思っていたんですけど、丁度皆さん予定のない日があってよかったです」
 まさかこんなに早くそんな日がくるとは思ってませんでしたけど、と続けながら、茜は人数分のカップに紅茶を注いでいく。
「集まるたびにケーキバイキングに行っていたのでは大変ですから。流石にあのお店で食べた物全てを再現させるのは大変でしたけど、これでお手軽にみんなでケーキが食べられます」
 余程嬉しいらしく、紅茶を注ぐその動作までもうきうきして見える。
 今、全員が揃っている応接間のテーブルの上に置かれている物。
 それは茜が忠実に再現した、あの甘味処で食べたケーキの数々だった。
 一種類につき10個ずつ、合計100個をも超える量の極彩色の固まりが、テーブルの上に所狭しと並べられている。
『ま、まさか、ほんとに全部のケーキを手作りするなんて…』
 浩平も詩子も予想だにしなかった結果である。
 深山先輩ではないが、食べる前からして既に食欲減退してしまいそうなほどのカロリーの固まり。
 先週一度やったばかりとくれば、なおさらである。
 しかし、真の問題はそんなことではない。
 本当に問題なのは…。
「コレ、全部茜が作ったんだよな…」
「そう、みたいね。茜、嘘つかないし…」
 声を潜めて言う浩平に、同じくトーンを落とした声で詩子が返す。
「なあ、まさかとは思うんだが…」
「止めて、浩平。それだけは、それだけは考えたくないの…」
 あの日、あの店のケーキを食べてみたときに茜の言った言葉。
 それは。
「い、いや。そんなことないよな。前に一度それで失敗したって言ってたんだし…」
「そうよ…。茜のこと、信じてあげないと…」
 ひそひそ話をしている二人には、さっきから瑞佳達の怪訝な視線が向けられているのだが、それに構っていられる余裕はなかった。

「さ、食べましょう」
「そうね…、落ち込んでたってしょうがないし。食べよっと」
「みゅ〜」
 茜の言葉に、浩平と詩子を除く全員が、一斉に、わっ、とケーキを分けにかかった。
「ほら、みさき。お皿貸して?」
「あ、うん。ありがとう雪ちゃん。いっぱいよそってね?」
「はいはい」
「これと、あとは…これでいい?」
 こくこく。
『ありがとうなの』
 和気あいあいとそれぞれの欲しい分を各自が取り分ける。
 と。
「浩平、詩子。食べないんですか?」
 他の面々とは対照的に、固まっている浩平と詩子の様子に茜が不思議そうな声をあげた。
「い、いや、今食べようと思ってたところだぞ? なぁ、詩子?」
「そ、そうそう。せっかくのケーキだもんね〜」
 ぎこちなく笑い会う二人。
 お互いにケーキをお皿に取って…。
『それじゃあ、いただきま〜す』
 一斉にそう言って、みんながそれぞれの分を口に運んだ。
(ええいっ、ままよっ!)
(どうか悪い予感が当たりませんようにっ!)
 浩平と詩子もそう念じると、パクッ、っとそれを口に入れる。
「あ、そうそう。言い忘れてましたけど、コレを作るに当たって、私なりに『改良』をしてみたんです。甘さ、どうですか?」
 天使のような悪魔の笑顔で茜がそんなことを聞いてきたのは、丁度その時だった。

 …その日、里村家から、謎の奇声が響いてきたとか何とか。


 おしまい♪


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