暖かな日差しが、ここが雪国である事を忘れさせてくれるような、そんなある日の昼休み。
 俺達は中庭で弁当を広げていた。

 弁当は美坂姉妹謹製。
 加えて、今日は秋子さんが作ってくれた弁当もある。
「へぇ、今日の弁当はまた手が込んでるな」
 美坂姉妹が作った弁当はいつにも増して目に美しく美味しそうだった。
「新しい御料理を幾つか覚えたので試してみました」
 嬉しそうな笑顔を見せる栞。
「本当に物好きよね」
 対する香里は少々不機嫌そうに見える。
 最近、俺に対して辛く当ると思ったら、妹を取られてやきもちか?
「違うわ」
「…どうして俺の考えている事が?」
「相沢君、思った事をなんでも口に出す癖は治した方が良いわよ」
 冷たい目で俺の事を睨む香里。
 …どうにも歩が悪い。
「香里だって好きな人が出来たらお弁当作ってあげたいって思うよ、きっと」
 慌てた様子もなく名雪がフォローする…多分、フォローしているつもりもないんだろうけど。
「…そうかしら?」
 ちらっと俺の方を見て、今度は溜め息。
「ま、あたしは判らなくても構わないわ」
 そして、また、俺の顔を見て溜め息…なんか凄く失礼じゃないか?
 …栞は香里に似なくて良かったな。
 心底そう思うぞ。
 頼むから栞は素直なままでいてくれ。
「どういう意味よ」
 じと目で睨む香里。
 …またやっちまったか?
「言葉通りだ」
 いつもの香里の台詞で返す。
「そ、そんな事ないです。私はお姉ちゃんに似てるって言われてるんですよ」
「…そうなのか?」
 ちょっと信じられないぞ。
「ま、子供の頃はね」
 嬉しそうに微笑む香里…こう言う所は素直だと思うけど。
「…」
 思わず想像して見る。

 そう、例えば腕組みをして、見下ろすような視線の栞。

   栞「ふうん」
   祐一「ど、どう言う意味だ?」
   栞「言葉通りの意味ですよ」

 ………。
 い、いやな光景を想像してしまった。
「相沢君…今すごく失礼な事考えてなかった?」
「そ、そんな事ないぞ」
「これは隠し事している時の表情だよ」
 名雪! 俺に恨みでもあるのか!?
 今朝目覚まし代わりに秋子さんのジャムを食わせたからか?
 昨日、道端で猫を追い払ったからか?
 それともこの前イチゴサンデーのイチゴを取った事を根に持って?
 …いかん。思い当る事がありすぎる。
「ふうん…」
 香里が極上の微笑みを浮かべて俺の事を見ていた。
 何か思い付いたらしい。
「…栞、隠し事されてるって」
「祐一さん、隠し事なんてひどいです!…私にも秘密なんですか?」
「い、いや、その」
 と、突然、何かを思いついたように、栞が微笑んだ。
「…判りました。なら私も内緒ですよ」
 おひ…その台詞…。
「やっぱり姉妹だね」
 名雪が楽しそうに笑う。
「あら、どういう意味かしら?」
「あっ、あははは。栞ちゃん、わたしもお弁当もらってもいいかな?」
「ええ、どうぞ。私も秋子さんが作った御弁当、少し頂いても良いですか?」
 そう言いながら弁当箱を差し出す栞。
「じゃあ、ロールキャベツとハンバーグ、交換しようか」
「はい」
 弁当のおかずのトレードは順調に進んでいるらしい。
 …ちなみに今日の栞の弁当は、比較的常識の範疇に収まるかもしれなくもないと言えない事もない程度の分量である。
 嬉しそうにトレードしたおかずを食べる名雪。それをじっと見つめる栞。
「どうですか?」
「……うん、すっごくおいしいよ〜」
「ありがとうございます。あ、このコロッケはいかがですか? 冷凍のものじゃなくてちゃんと作ったやつなんですよ」
「わ。うん、もちろん頂くよ」
 気がつくと、香里が何か眩しいものでも見るようにふたりのやりとりを見ていた。
「まるで…夢みたいだわ」
「ん? なにが?」
 どうやらひとり言だったらしく、香里の表情が少し変化する。
「ここで、こうして栞とお弁当を広げていることが…ねえ、相沢君」
 栞と名雪のふたりはお弁当の品評が忙しいらしく俺たちに気がついていない。
 いや、気がついてはいるんだろうな。
「あたしは…栞の姉に戻ってもいいのかな?」
 香里は、いつになく弱々しい笑みを浮かべ、そう訊ねて来た。
「戻るもなにも、香里は栞にとってたったひとりきりの姉だろ?」
「…そうね。でも誰に認めてもらわないと不安なのよ」
「認めるも何もないな。事実は事実だろ。それとも香里の事を大好きだって言う栞が信じられないか?」
 栞が病気を克服できたのはきっと夢があったからだ。
 夢を叶える為の、本当に文字通り命懸けの勝負に栞は勝ったんだ。
 栞の夢。
 それは例えば今のこの食事風景。
 それから、香里と一緒の登下校。
 その夢の中には常に香里がいた。
「…ごめんね。バカな事聞いたわ。忘れて」
「ああ。さて、飯を食っちまおうぜ。この学校の昼休みは短いからな」
「どこでも一緒でしょ」
 少し呆れが混じった溜め息をすると、いつもの香里に戻ったようだった。
「じゃあ、まずは……ああっ!!!」
 俺の前には空になった弁当箱が積み重なっていた。
「ふっ、悪いが弁当はありがたくいただかせてもらったぜ」
「てめえ、北川っ!! まだ栞の弁当、殆ど食ってねえんだぞ! 俺の唐揚げを返せ!」
「俺だけ仲間はずれにしようとする不届きものに食わす唐揚げはないな」
 そういや、こいつの事をすっかり忘れていた。
「いや、悪気はなかったんだ。存在自体、すっかり忘れていただけで」
「なお悪いわ!!」
 でも、事実だし。
 と、香里がフォローを…。
「…ごめん。私も忘れてた」
 止めを刺してどうする。
 北川は隅の植え込みでのの字を書き始めた。
「祐一さん、デザートのアイスがありますから、それでも食べてください」
 どこからともなくアイスを取り出す栞。
 もう驚かないけどさ、そのポケット、保冷機能も付いてたのか?
 それにしても。
「…おまえらも食いすぎだ。そのまま天高くなっても知らんぞ」
「そ、そんなこと言う人嫌いですっ!」
「そうだよ、祐一ひどいよ。そんな事言うなんて極悪人だよ〜」
「…いや、栞の場合はもう少し食べたほうが良いかも知れないな」
「わっ、どこ見て言ってるんですかっ」
「さて、どこかな」
 と、俺がとぼけていると。
 ポカッ。
「痛っ!」
 頭が痛い…。
「人の妹相手にセクハラなんて良い度胸ね」
 香里が拳を握っていた。
「香里、仮にも女子がグーで殴るなんてな…」
 俺がそう言うと香里はニッコリと微笑んだ。
「次は手加減しないからね」
 今のも充分に痛かったです。はい。

 キーンコーン、カーンコーン

「昼休み終わっちゃいますね」
「くっ! 栞の弁当を食い損ねたじゃないか!」
「大丈夫です」
 栞はそう言って微笑んだ。
「明日はもっと沢山作って来ますから」
「それは勘弁してくれ〜」
「あら、人の妹の好意を無にするの?」
「そこで拳を握るんじゃない!」
「祐一が悪いよ〜」
「だけど、リミッタ-外した栞の弁当の量と言ったらだな…」

 …そう、こんな日常こそが。
 香里がいて、笑い声の絶えない日々こそが。

「そんな事言う人嫌いです」

 栞の心から望んだ夢なんだ。



《戻る》 inserted by FC2 system