茶々 −3−
「茶々、大きくなったよねぇ」
私の首を抱える様にして、みさきが呟く。
うむ。
私がみさきに出会ってから沢山ご飯を食べた。
私はもう立派な成犬だ。
みさきの膝に乗れなくなって大分経つぞ。
「盲導犬じゃないけど、私にとって、茶々は私の目と同じなんだよ」
盲導犬。
お母さんもたまにそんな事を言ってるけど、それは食べたことがない。
「…でも、茶々がいても見えない物は沢山あるんだよね」
…みさきの声が少し沈んでいる。
ぱたぱたと尻尾を振ってみさきの背中を叩いてみる。
「うん…大丈夫だよ」
そう言いながらみさきは私に頬擦りをしてくる。
パク。
更に、私の耳に軽く噛み付いてみたり。
「うー…おなか減ったね」
…。
じたばたじたばた。
一生懸命起きあがろうとするのに、みさきは手を離してくれない。
「あはは、食べないよぉ」
…それは分かってるんだけど…。
えーと、良いのかな?
「茶々は大事な友達だからね。うーんと…雪ちゃんには内緒だけど、一番の親友だよ」
「…へぇ、私は茶々に負けてるわけね?」
その声と同時に襖が開く。
「ゆゆゆゆ雪ちゃん!?」
みさきは私の首から手を離して、わたわたと手を振った。
うむ。
さっき、玄関の音がして、お母さんが出迎えてたぞ。
私も迎えに出ようと思ったのにみさきが離してくれなかったんじゃないか。
「みさき、あんたの気持が良く分かったわ」
「あうう…ええと、そう! 目の錯覚だよ!」
「目は関係ないわね」
雪ちゃんとみさきは挨拶をしているようだ。私も雪ちゃんを見上げながら尻尾を振って挨拶した。
「茶々、元気そうね」
雪ちゃんは、私の頭をごしごし撫でてくれる。
私は撫でてくれたお返しに顔を舐めに行こうとする。
が、両手で首輪を捕まえられてしまう。
うー、これではお返し出来ないじゃないか。
「こら、茶々。顔を舐めるなって何回言ったら分かるの」
…親愛の表現なのに。
「あの…ゆ、雪ちゃん?」
ん?
なんか、みさきの声がちょっと脅えている。
敵でもいるのかな?
耳をそばだてて辺りに注意を向ける。
でも、敵の気配はない。
「あ、そうだ。お土産に焼き立ての食パン買ってきたんだけど…茶々、食べる?」
さっきからこの匂い、気になってたんだ。
美味しい物は好きだぞ。
わさわさと音を立てて尻尾を振る。
「ん−、飼い主に似ず賢いね、茶々は」
うむ。私は賢い。
みさきと雪ちゃんの次くらいに賢いぞ。
雪ちゃんが紙袋を開けると、香ばしい匂いが部屋中に広がった。
「…雪ちゃんひどいよぉ」
「何言ってるのよ、みさきの一番の友達にプレゼントじゃない…って、こらこら、ベソかかないの」
「うー…だって」
「もう。ちゃんとみさきにあげるわよ」
笑いながらそう言って、雪ちゃんはみさきに袋を渡した。
みさきは、狐色でバターと小麦の匂いがする四角い大きな塊から、一切れをむしり取り、私に分けてくれる。
「えーと…雪ちゃんは自分で取ってね?」
「私はいいわ。みさきと茶々で食べて頂戴」
「良いの? でもおいしいよ、焼き立ては本当に美味しいね」
うん。おいしい。
暖かくて甘くてしょっぱくて。
「今度、店の場所教えてあげるわ。すぐ近くなのよ」
「…」
みさきのパンを食べる手が止まる。
「他にも色々あったわね、焼き立てのメロンパンってどんな味するのかしら」
「…雪ちゃん…私…」
「少しでも慣れて行かないと…ね。みさき」
何か難しい話しをしているらしい。
私はもう少しパンが欲しいぞ。
みさきの、パンを持っていない方の手を軽く噛んで引っ張る。
「…ほら、茶々も一緒に散歩に行きたいって」
違うぞ。
…あ、ええと、違わないけど、今はもう少しパンが欲しい。
「…学校の散歩だけじゃ嫌?」
ええと…ええと…。
ふと、まだ子犬だった頃に一緒に歩いた道を思い出した。
みさきとの散歩は毎日が発見だった。
知らない犬の匂い。
美味しそうな食べ物の匂い。
一緒に走る知らない道。
みさきがコロッケを買って、分けて食べた事もあった。
大きな犬に吠えられたりもした。
美味しいこと。
知らないこと。
楽しいこと。
嬉しいこと。
それからたまに恐いこと。
みさきとまた歩きたい。
歩き慣れた学校も楽しいけど。
二人で迷子になりながら、知らない道を歩いてみたい。
みさきと思いっきり遊びたい。
「クゥゥゥ…」
大きくなってからはこんな声を出した事はなかったけど。
小さかった頃の事を思い出したせいだろう。
気付くと私は思いっきり甘えた声を出していた。
「茶々…ごめん…ね」
***
玄関まで雪ちゃんを送る。
いつもなら一緒に見送りに来る筈のみさきは、部屋で丸くなっている。
「急ぎ過ぎたかな…」
雪ちゃんはそう呟いて私の背中を撫でてくれた。
「茶々、みさきをお願いね」
***
次の朝。
みさきと私の散歩のコースが変わる事はなかった。
少し残念だったけど、構わない
みさきはいつも優しい。
たまに意地悪でも、私にとってはみさきは唯一の仲間だ。
だから、私は雪ちゃんに言われるまでもなく、いつだってみさきの味方をしている。
でも。
それで、みさきは本当に幸せなのだろうか?
私が昔のみさきとの散歩を懐かしむ様に、みさきも私と一緒に知らない道を探検したいのではないだろうか?
「茶々〜!」
校庭を、走るみさきが大きく手を振って私を呼んだ。
うん。
みさきは楽しそうだ。
今は、今の生活を楽しもう。
みさきもそれを望んでいる。
「早く来ないと置いてっちゃっうよぉ!」
今はそれが正しい事だと思う
多分、今は、まだ。
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