匿名希望さん 作
人が人である以上、逆らいがたい欲求というものがある。
個々人によって、それは、たくさん食べたいとかひたすら眠りたい、或いはその…あれなアレだったりと、まぁそのいろいろあるが。
海鳴大学付属病院勤務、親切・丁寧・笑顔が素敵(だけど胸なし)と評判のDr.F・矢沢こと、フィリスにおいてもそれは例外でもないようで…
その日。
普段の盛況ぶりが嘘のように、フィリスの診察室を訪れる人が少なかった。
時間は、午後を少し回ったばかり。
春の日差しが、誘惑の手をフィリスに差し伸べる。
お昼に食べたAランチ(ココアプリン付き)が、いい具合に消化されてきていて。
椅子に座ったままうつらうつら、前後にゆ〜らゆらしてしまうのも、まあ無理はないだろう。
フィリスの名誉の為に記述しておくが、決して彼女が居眠り魔とか夜遅くまで不埒な…だった訳では無い。
ここしばらく、学会へ提出するレポートのまとめに深夜までかかりきりであった為、さしもの勤勉な彼女でも睡魔の誘惑に耐え切れなくなってきていたのである。
「うふ…うふふ…恭…」
ま、まあ、夢の内容まで、勤勉さをもとめるのは酷というものであるから、この際寝言は聞こえなかったということで。
その脳裏で展開されているのは、密かに心寄せている青年との甘い逢瀬か。
はたまた、もう一歩進んだお子様禁止な状況か。
幸せそうに、夢をみて微笑むフィリス。
けれど。
ささやかな幸せとは、儚い物で。
「Hi!美人でグラマーなお姉さまが、寂しい妹を心配してきてやったぞ。どうだ、優しい姉に感謝して奢りたくなっただろ…って寝てるのか」
フィリスの、自称美人で心優しい姉である、リスティ登場。
彼女、どうも愛情表現が屈折しているようで、愛する妹達をからかうのを生きがいとしている節がある。
フィリスと、そしてもう一人フィリスの双子の妹シェリーも散々その被害にあっている。
そればかりか、好意を持った相手は必ずといっていいほど、彼女のからかいの対象にされてしまう。
それでも、嫌われないのはひとえに、彼女のそれが好意の裏返しであり、照れ隠しだということが感じられるからで。
いろんな意味で、いい性格である。
さて。
ゆらゆらと舟をこいでいる妹の、幸せそうな寝顔をしばし見つめると、にやりとそれはもう素敵に笑って。
「おや、フィリスの奴よだれ出して寝てるぞ。お〜い、恭也もこっちへ来て見てみなよ」
がたがたんっ!
がっしゃんっ!
ごい〜ん!
「あ、あいたたたっ。は、恭、恭也君、あのあのあのっ!」
床に椅子ごととひっくり返ったまま、出てもいないよだれを拭おうと口元に手をやりながら、じたばた言い訳を開始するフィリスだったが。
「くくくくっ」
部屋にいるのが、してやったりと肩を震わせ笑っているリスティだけなのに気付くと。
「リスティ!!」
羞恥と混乱を隠すように、姉に向かって怒り出す。
そんな妹の怒りを、さらりと受け流し。
「フィリ〜ス、仕事中に居眠りはいけないなぁ」
と追撃をかけるリスティ。
ご丁寧にも、肩をすくめる身振りまで付けてみせる。
「うっ!だ、だからってあんなこと言う必要はないでしょ。大体、いつもいつも…」
かくして始まる、仁義無き姉妹ゲンカ。
その時。
ドアの外で、午後の診療開始時間より少し早めに着いていた恭也が、ノックをしかけたまま固まっていたりした。
「…時間まで入らないほうが、無難だな」
その状況のみを見れば、それは至極もっともな選択なのだが、後ほどそれをたっぷり後悔する羽目になる。
神ならぬ身の恭也にとっては、知る由も無かったが。
ともあれ、約20分も続いた姉妹バトルであるが、最古参の婦長の乱入により、二人仲良く一喝されて終了。
ちなみに、その婦長には患者時代やたらお世話になっていた為、傍若無人なリスティにとって数少ない頭のあがらない人物の一人だったりする。
「まったく、いつまでたってもお二人とも子どもなんですから」
「「ごめんなさい…」」
ひとしきり怒った後、婦長は午後の診察の為のカルテをおいて去っていく。
「さて。あら、今日は一人だけなのねって、恭也君だわ」
ちゃっかり椅子に座っていたリスティがカルテを覗き込む。
「どれどれ」
「リスティ、患者さんのカルテを勝手に覗かないで!大体、いつまでいるの!」
「まあまあ、まんざら知らない仲じゃなし、かたいこと言うなよ。それに、フィリスがドクハラしないように見張るという重要な使命が」
「そんなことしませんっ!」
またしても話が横道にそれそうになってきたが、危ういところで自らの職業を思い出したフィリスが、恭也を呼ぶ。
「と、そんな場合じゃなかったっけ。こほん、恭也君、どうぞ?」
数秒経過。
しかし、返事が無い。
「ボクが見てきてやるよ」
リスティが、立ち上がって隣の待合室をのぞきに行く。
「あ、こら、リスティ!もう、リスティったらいつまで居るつもりなのかしら」
しばし後。
「お〜い、フィリス、ちょっとこっち来てみな」
「何よ、もう…」
小声で呼ぶリスティの声に誘われ、フィリスが待合室で見たのは。
「…すう…」
なんとも無防備な顔で眠っている恭也の姿であった。
どうやら、嵐が収まるのを待つうちに、先ほどのフィリスと同様、春の日差しの誘惑に負けたようである。
「か、かわいい…」
普段無愛想を絵に描いたような恭也の、意外にも無邪気な寝顔に、すっかり視線が釘付けになるフィリス。
「睫、意外に長いんだ…」
小声で、無意識に呟きながら頬を染める。
そんなフィリスに、再びいたずら心を刺激されたリスティが、その口を開こうとした時。
「修行が…足り…美由…希」
寝言らしい。
「…なのは、危な…レン、晶…外で」
高町さんちの長男は、実に家族思いのようである。
「なんだ、フィリス。自分の名前も呼んで欲しいって顔してるぞ」
「そ、そんなこと」
図星だった。
「フィ…」
「え、ええっ」
「おや、これは、ひょっとして、ひょっとすると無意識下での告白ってやつかな」
うろたえるフィリスと、ニヤニヤ笑いながら、それをあおるリスティ。
恭也の寝顔を見つめるフィリスの顔が、赤みを帯びてくる。
固唾を飲んでいる二人の前で。
「フィ…アッセ…やめてくれ…」
だーっ。
こけるフィリス。
お約束、である。
その様子に、人の悪い笑みをさらに深めながらリスティが。
「意味深だねぇ。どんな夢を見ているんだか」
と言ったりするものだから。
何だか、ジェラシー100%。
同時刻。
突然、ぞくりっと背中に寒気といお〜か、殺気といお〜か。
やばい気配を感じている歌姫の姿があったとか無かったとか。
で、再び寝言。
「フィリス…先…生…」
「おおっ!」
「え?え?き、恭也君!?」
少し切なげによせられた恭也の眉は、言い出せない思いを抱えて苦悩しているようにも見えて。
その、ほのかに男の色気漂う表情に魅了されるフィリス。
どくどくどく。
耳に響くような心臓の音は、いったい誰のもの?
薔薇色の未来への期待を高め、真紅に染めた頬に手をやるフィリスと、これでまた、からかうネタが増えるぞと邪な期待を高め、腕組みをしながらほくそえむリスティが、全身を耳にする中。
「関節はやめてください」
どんがら、がっしゃん。
あさっての方向にダイブした銀の妖精二人。
どうやら、期待は裏切られる為にあるようで。
どうがんばって曲解しようと、これは、愛の告白には聞こえない。
只今のフィリスの心境といえば。
ウエディング・ベルの鳴り響く教会の階段まで、あと一歩というところで、落ちていたバナナの皮をふんずけ、300メートルぐらい素っ飛んだようなものである。
…何故にバナナの皮?
ま、それはともかく。
なまじ期待していただけに、これは痛かったようである。
「!!」
なにやら己を取り巻く、強烈な負の感情に、慌てて飛び起きる恭也の視線の先。
にこやかに微笑みながらも、殺気を放つフィリスが居たりした。
「さあ、治療しましょうねっ!!」
「フィ、フィリス先生?」
かくて、訳もわからず、治療室へ引きずられていく恭也。
「フィ、フィリス先っ生っ、きょ、今日は、いつもより、ぐおっ、き、きつくないっ、ですっ、かはっ、ぐう!!」
「い〜え!!いつもと同じですよっ!!」
「ま、朴念仁な己を反省するんだね」
にやにや。
一部始終を知るリスティは、フィリスを止めることなく、恭也の苦悶する様を眺めていたのであった。
「だって、その方が面白いじゃないか」
だ、そうである。
その日、フィリスの診察室を中心に響き渡った男性の悲鳴のあまりの凄まじさに、しばらく、患者が寄り付かなかったとか…
<後書き…?>
えっと、恭也×フィアッセのSSをご期待の皆様、ごめんなさい。
今回のヒロインは、フィリスです。
とは言うものの、私が書くとどうも、コメディな性格に。
フィリスはこんなお茶目さんじゃないっとお怒りの皆様もみえると思いますが、どうか、お許しくださいませ。
これは、コメディ、でございます。
では、こんなSSですが、少しでも笑っていただければ幸いです。
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