秘想〜やがて空へ〜


 風のない丘で、ゆっくりと煙が空に上っていく。
 想いが、空へ還っていく。

 
 
 祖母を見送ったことを、ようやく穏やかに語れるようになった頃、遺品の整理を始めた。

 祖母はとても物静かな人で、声を荒げて叱られたような記憶など一つも無い。
 どちらかといえば、終始ひっそりと穏やかに微笑んでいる、そんな人だった。

 だからだろうか。
 それを見つけたときに、ひどく落ち着かないような気になったのは。

 殊のほか祖母に懐いていた僕に、形見分けだともらったのは古ぼけた文机だった。
 アンティークと呼んで差し支えない程古びたそれは、いかにも祖母らしくそっけないほど飾りの無いものの、温かみのある木製で。
 この家に嫁ぐ時に、わざわざ実家から運び込んだらしいと聞いたことがある。
 子どもじみたいたづらが好きだった祖父に、かなりからかわれたであろうことは想像に難くない。

 それでも、手放さなかった。
 否、手放せなかったのだろう。
 引出しの奥の片隅に、ひっそりと眠っていた想い故に。
 
 それは。
 古ぼけた写真と封筒に入った一通の手紙。
 
 写真に写っていたのは、少女の頃の祖母と祖父ではない少年だった。
 アルバムの中でさえ見たことの無いほど無邪気に笑う祖母と、慈しむような眼差しで祖母をみつめている少年。
 彼の面影は、少し僕に似ている気がした。

 出せなかった手紙。
 想いのかけらを、僕に見る資格はあるのだろうか。

 しばらく躊躇っていたものの、結局それを読むことにしたのは、祖父の最期を看取った祖母の言葉を思い出したからだった。
 「先にあいつらのところへ行ってるから。お前はできるだけゆっくりとおいで」
 という祖父の言葉に、
 「ええ。あの丘で待っていてください」
 と答える祖母の言葉を。
 その時は、祖父の賑やかすぎた友人達のことだと思っていた。
 だが、わざわざ丘で待っていてと言ったからには何か意味があるのだろう。
 そして、その答が、多分この手紙の中にある。
 
 封を開ける前に、祖母の顔を思い浮かべる。
 穏やかな笑顔だった。
 誰にも言えずにいた。
 しかし誰かに伝えたかった想いを、僕に伝えようとしている気がした。

 

 明日、あの人の元へと嫁ぎます。
 あなたという光を失い、虚ろな影でしかなかった私に、再び光をくれたあの人の元に。
 あなた以外の人と、これからの人生を歩んでいこうとする私を、許して下さいますか。
 あの幼かったけれど、何よりも誰よりも真剣だった想いを忘れた訳ではないのです。
 あの人もまた、私があなたを失ったようにかけがえの無い人を失いました。
 それでも、彼は強くあろうとしました。
 時にそれは痛々しいほどでしたが、それでも私との他愛ない約束を守って、強くあろうとしてくれました。
 私は、そんな彼にいつしか強く惹かれていきました。
 失ったあなたの代わりではなく。
 ただ、あの人の側にいたかった。
 けれど、私という存在があの人にとって、失った彼女を想い出させ、苦しませてしまうぐらいなら。
 それぐらいなら…
 だから嬉しかったのです。
 あの人も私と同じ想いでいてくれたことが。

 私の中で、あなたへの想いが消えることがないように。
 あの人の中で、彼女への想いが消えることは無いでしょう。
 時にそれは私たちに痛みをもたらすこともあるでしょう。
 それでも。
 私たちは、二人でこれからの人生を歩んでいくことを決めました。

 さようならは大好きだったあなたへではなく。
 あなただけが好きだった幼い日の私に。
 ものみの丘にとどまったまま、膝を抱えて泣きつづけていた私に。
 
 あなたには。
 あふれんばかりの感謝と、いつまでも変わらない想いを。
 


 手紙はそこで終わっていた。

 「ものみの丘には、心優しい弧がいてね…」
 不意に祖母の昔語りを思い出す。

 「彼らはね、時おり人の温もりにこがれ、街に降りてくるの」
 幼かった僕を膝にのせ、ゆうるりと語る祖母の声を。

 「災禍を運ぶといわれていた彼らは妖弧と呼ばれていたけれど、本当はね…」
 その優しく、どこか切なさをたたえていた瞳を。

 幼い僕は、当然ながらそれに気づきもせず。
 「おばあちゃんは、会ったことあるの?その妖弧に」
 「ありますよ。それに私だけではありませんよ。おじいさんもです」
 「え〜、おじいちゃんも?」
 「ええ、あなたの名前はおじいさんが出逢った大切な妖弧の少女の名前からつけたのですから」
 「だから女の子みたいな名前なんだ、僕の名前…」
 幼い僕は、友人たちにからかわれていた事もあり、自分の名前があまり好きではなかった。

 二人がどんな思いで僕を呼んでいたか、知りもせず。

 少年に似た面影の僕を、少女の名前で。
 二人で重ねた年月の確かさと、それでも残る想いの深さで僕の名を呼んでいたのだ。
 今更ながらに、それを理解した僕は、二人がその大切な名を付けるほどに僕を愛してくれていたことに気付く。

 そして。
 僕を呼ぶ時の二人の、声の温かさを思い出して。
 写真と手紙を手にしたまま。
 ただ幼子のように。
 泣き続けた。

 どんなに呼んでも、もう決して答えてくれない、祖父と祖母を呼びながら。


 風のない日を選んで、ものみの丘に登った。
 手には、あの手紙と写真。
 街が見下ろせるここで、想いを還そうと思った。

 小さな焚き火をする。
 炎の中に、手紙と写真をそっと入れた。
 
 ゆっくりと煙が、空に上っていく。
 封じ込められた想いは解き放たれ、空に還っていった。

 <後書き…?>

 これは天野のSSです。
 例え、そう見えなくても、そうなのです。
 そういうことにしといてください(涙)

 このSSの元ネタは、さだまさしさんの「秘恋」という歌だったりします。
 …あんまり原型ないですが(苦笑)

 曲を聴いていたときに不意に情景が浮かんだのです。
 秘めた想い。
 古い手紙と写真。
 炎の中でゆっくりと燃え尽きていき、煙となって空へ上っていく。
 それを見つめる誰か。
 そんなビジュアルが最初に浮かんで、このSSが生まれました。

 このSSはともかく、さださんの歌はとても素晴らしいですので、機会があれば聴いてみて下さい。
 「家族の肖像」というアルバムの中に収録されています。


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