ヴァージン・ロード


匿名希望さん 作


 最後に見たその人の表情は、笑顔。
 苦しいはずなのに、ただ相手のことを気遣い、無事を喜んでいる笑顔。
 やがて炎に包まれて、視界は闇に閉ざされる。

「っ!」
 声にならない悲鳴をあげて、目覚める。
 何度見ても、慣れる事のない夢。
 フィアッセは、そっとため息をついて夢の名残を追い出そうとする。
 傍らに眠る恋人の眠りを妨げないように、ゆっくりと身を起こしかけると。
「どうした、フィアッセ」
「ごめんね、恭也。起こしちゃった?」
「いや、いい。それより何かあったのか?」
 あまり表情の変わらない恭也の、それでも共に過ごした月日の中でそれとわかる心配そうな顔を、月明かりの中でそっと見つめながら答える。
「何でもないよ。ただ、夢を見ただけだから。夢に驚いて起きちゃうなんて、子どもみたいだね」
 少しだけおどけたように答えるフィアッセに。 
「そうか」
 短くそう答えると、それ以上言葉を重ねずに、そっとフィアッセを抱きしめる。
 一瞬、身を竦めたフィアッセだったが、すぐに恭也の抱擁に身を任せ、先ほどとは違う色合いのため息をひとつ。
 重ねる素肌の温かさと。
 抱きしめられる腕の強さと。
 口付ける吐息の甘さに。
 束の間、不安をかき消され、やがて眠りにつく、その直前、胸の奥底にどうしようもなく湧き出る感情。
『こんなに幸せなのに、どうして…』

 故郷イギリスで過ごす、穏やかな休日。
 ティオレに、アルバートに、それとなく恭也との仲をからかわれて。
 くすぐったくも、幸せな時間。

 あの日の夢を見る。
 何度も何度も。
 繰り返す結末。
 まるで悲劇を忘れないでと、訴えるように。
 己を縛っていた黒い翼は、すでになく。
 背に纏うは、白き翼。
 それなのに。

 『どうしてこんなにも、不安が募るの…』

 この頃、体調のよいときでもティオレは、車椅子でしか移動できなくなっている。
 その痩せた背を見つめながら、車椅子を眺めのよい庭園の一角へ押していくのがフィアッセの日課になりつつあった。
 だから、今日も日差しが一番穏やかな時間に、ティオレと二人だけの散歩をする。
 しばらく、庭の薔薇を眺めたり、優しい声でさえずる小鳥の歌を聴いていたティオレだが。
「何に怯えているの、フィアッセ」
 問い詰めるでもなく、愛娘にそっと声をかけた。
「!」
「長い間想い続けた恭也の愛を得て、何をそんなに恐れているの?」
「ママ…」
「いらっしゃい」
 優しく誘われ、ティオレの膝に、幼い頃にしたように頬を寄せるフィアッセ。
「ねぇ、フィアッセ。失うことは…怖いわね」
 光の踊る柔らかな髪を、そっと手ですきながら、ゆっくりと語りかける。
「私は、いろんなものを失ったわ…故郷、家族、友人。かけがえのない、大切な場所や人達。失った人たちは、二度と帰らない。どんなに、望んでもね。だから…とても嘆いたし、ひどく悲しんだわ」
「……」
 俯いたままのフィアッセは何も言葉を返さない。
 それでも、そっとその髪をすきながら話を続ける。
「そして、アルバートと出逢って、愛し合って…その時よ、今までで一番の不安にとらわれたのは。もし、この人も失ったらどうしよう、今まで私の腕の中をすり抜けていった人たちのように、この人までも失ったら。そう思ったら、怖くてたまらなくなったわ」
 下を向いていたフィアッセは、うっすらと涙を浮べた瞳で、すがりつくようにティオレを見つめて想いを吐露する。
「ママは、ママはどうやってその不安を乗り越えたの?不安なの。幸せなのに、不安なの。愛していればいる程、不安が募るの。いつか恭也が、士郎みたいにいなくなってしまうんじゃないかって」
 ティオレは、その迷子のような怯えの揺らめく瞳を見つめる。
「ねえ、フィアッセ…失うことを不安に思うのなら、恭也を愛するのをやめる?そうすれば、不安に怯えずにすむわよ」
「NO!!」
 一瞬の間もおかずに、フィアッセ自身、思いもかけないほどの強い口調で、否定の言葉が口をついて出る。
 その様子に、満足そうに微笑んで。
「そうね、どんなに不安でも愛することをやめることはできないわね」
「でも」
「愛する喜びや、愛される喜びに背を向けて、失うかもしれない不安にばかり怯えている?」
「でもっ」
「人はね…いつか、逝くわ…」
 はっと息を呑み、やせ細ったティオレの体を見つめる。
「それはね、どうしようもないことよ。ねぇ、フィアッセ。想い出を重ねていきなさい。愛した記憶を、愛された記憶を重ねてゆきなさい。例え愛する人を失ったとしても、その想い出があなたを支えてくれるわ」
「ママ…」
「私が逝っても、私は想い出という形で、あなたやアルバートや恭也達の中に残るから」
 見上げるフィアッセの視線の先、逆光に縁取られたティオレの笑顔は。
「だから私は…もう、不安でも、寂しくもないわ」
 いつか手をひかれて訪れた、古い教会の宗教画のようであった。

 愛するということが、失う不安と表裏一体であるのなら。
 愛することを止めれば、不安はなくなるだろう。
 でも、愛することは止められようはずもなく。
 答えは、多分出ないのかもしれない。
 自身が、その命の鼓動を止めるまで。
 
 その夜。
「昼間、ティオレさんと何を話していたんだ?」
 腕枕をしながら、恭也が問いかける。
「ん〜。いろんなことだよ」
 くすりと笑って、フィアッセは言葉を続ける。
「恭也のことも、話したよ」
「俺のこと…?」
「そう。私が、どんなに恭也を愛してるかってことをね」
「っ!」
 それを聞いて、細い月明かりでもそうとわかるほど、恭也の顔が赤くなる。
 逞しくて、暖かい、その傷だらけの胸板に頬を寄せて
「照れることないのに〜」
 と、くすくすと笑いながら言う。
 少しだけ、憮然とした表情で笑い声を聞いていた恭也だが。
「フィアッセ」
「ん〜、何〜、恭也?」
 恭也の鼓動を聞きながら、尋ね返すフィアッセを。
「結婚…して欲しい」
 そっと抱きしめて囁く。
「え?き、恭也!?」
 腕の中で、うろたえるフィアッセに、恭也は想いを伝えていく。
「フィアッセが何に怯えているのか、大体わかっている。父さんと同じ仕事についてることが、その原因の一つだって事も」
「恭也…」
「けれど、俺には剣を捨てることはできない。フィアッセに不安をあたえてるってわかってて…身勝手だよな」
「そんな、そんなことはないよ!私だって、歌を捨てられないっ、ん!」
 フィアッセの反論を、口付けで封じて。 
「…不安はある。いつか、フィアッセの元へ帰ることが出来なくなる日がくるんじゃないかと」
 ぎゅっと、抱きしめる力を強くして。
「でも、その不安もフィアッセとなら、分け合える。いや、分け合いたい、と思う」
 口下手ゆえに想いを言葉にすることが苦手な恭也の、それゆえ真っ直ぐな言葉がフィアッセの心の奥底に積もっていった、不安や恐れをそっと解かしていく。
「フィアッセの不安も、俺に分けて欲しい。不安だけじゃない。嬉しいことも、楽しいことも、悲しいことさえ、分け合いたい」
 もどかしげに眉を寄せる恭也の顔を、抱擁の下から見上げて。
 ゆっくりと。
 花がほころぶような笑顔で。
「私も、恭也と分け合いたいよ」
 フィアッセは想いを言葉に変える。

 愛するということが、失う不安と表裏一体であるのなら。
 愛することを止めれば、不安はなくなるだろう。
 でも、愛することは止められようはずもなく。
 答えは、多分出ないのかもしれない。
 自身が、その命の鼓動を止めるまで。

 でも、それでも。
 恭也を愛している…

 6月の良く晴れた、その日。
 みんなの祝福を受けて、恭也とフィアッセが、ゆっくりと教会のヴァージン・ロードを歩んでいく。

 待ち続けて
 待ち焦がれた
 君の夢が 今 かなう
 時に不安に迷ったけれど
 哀しみも迷いも乗り越えて
 今、この道を歩む君よ…

「幸せになれ」

 その時
 確かに
 彼の声が聞こえた



 <後書き…?>

 ど、どうしたんだ、私っ!
 コメディが、笑いが一行もないぞっ!?
 …すみません、おもっきり取り乱しております。
 ああ、作品の余韻がぶち壊しだ(笑)
 そんなものは無い、と言われたらお終いですが(爆)

 え〜、とらハ第4作は、なんとドシリアスです。
 …シリアス、になってますよね(ちょっと弱気)
 あんまり第3作が笑いに偏りすぎた反動か、書いても書いても笑いがちっとも出てこない内容となりました。

 今回も、モチーフと言うか、タイトルはさだまさし氏の曲からつけております。
 その曲とは、「ヴァージン・ロード」って、う〜ん、まんまですね(笑)
 ラスト数行を書くにあたって、この曲を何度か繰り返し聴いていました。
 できましたら、読んでいただく時もこの曲を聴いていただけると、とても嬉しいです。

 えと、内容については…今回は、あまり書くことないです。
 大体、書きたいこと、書いたつもりです。
 …伝わるかどうかは、ちょっと心配ですが(苦笑)

 こんなSSですが、少しでも伝わるものがあったら…  
 



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