折原家の育児日記7


匿名希望さん 作



 彼は感動していた。
 押し寄せる感動に、ただその身を震わせていた。

 「人類進化の瞬間が、今、俺の目の前にっっ!」
 「訳のわからん感動の仕方をするなー!!」

 留華、1歳2ヶ月と8日。
 初めて、支えなしで立った瞬間のことであった。

 育児書によれば、そろそろ歩き出してもおかしくない月齢。
 例によって例のごとく。
 も、もしかして何か病気なの!?
 等と、過剰に心配する留美をよそに、
 「うきゃきゃぁう〜。」
 と、今日も今日とて元気よく床を這い回る、ご機嫌な留華嬢。
 その様子は、まるっきり小動物のそれである。

 「留〜華、留華、留華〜!」
 浩平の呼ぶ声に、満面の笑みを浮かべて、一目散に這ってくる。
 その速いこと、速いこと。
 ハイハイ選手権なんてものがあったら、ぶっちぎりで優勝しちゃうんじゃないかというぐらいである。
 途中、頭が重いのか、それとも手の動きが体に追いつかないのか、額を床にこすりつけブルドーザーのようになってしまうけれど、それもまたご愛嬌。
 「留華っ、お手っ!!」
 「うちの娘は、子犬じゃないわっ!!」
 「いや、尻尾あったら絶対振ってるぞ、あれ。」
 「うっ、否定できないかもって、やめんかぃ!!」
 「あうぅっ!!」
 どっちでもいいからはやく抱っこしてとばかりに、めいっぱい手を伸ばしながら膝立ちの留華。
 「留華、ちんちっ、うぐはっ!」
 留美必殺の右ストレートが、綺麗にみぞおちに決まる。
 仰向けに床へと倒れこむ浩平。
 「うきゃぁっ!」
 「ぐえぇ!!」
 さっそく、そのお腹の上へと飛びつく留華に、とどめをさされたりして。

 といったような、実に微笑ましいやり取りがあったのが、つい2、3日前。
 
 「でも、本当に赤ちゃんってすごいわよね。」
 「そうだな。1年位前は、寝返りもできずに、ベッドの中で泣いてただけなのに、もう一人で立つんだもんな。」
 「もうすぐ、一人で歩けるようになるのよね。」
 くすっ。
 笑みをもらす留美。
 「そう考えると、さっき浩平が言ってた、人類進化の瞬間っていうのもあながち大げさでもないのかも。」
 「だろう。」
 留華を抱き上げ、浩平は微笑み返す。

 「この一年、いろんなことがあったわよね。」
 「ああ。」

 いよいよ出産という時に、陣痛に苦しむ留美の手を、励ますように握り締めた浩平。
 「ま、待て待て!る、留美、手が、手がぁ〜!!」
 「おぎゃぁ、おぎゃぁ!」
 「おめでとうございます、元気なお嬢さんですよ。」
 「くぅぅ…」
 浩平、男泣き。
 「良かったですね、折原さん。ほら、ご主人も泣いて喜んでますよ。」
 「浩平…」
 「くぅぅ…留美〜。」
 曲がってはいけない方向へ、思いっきり曲がった手を抱えて。
 「整〜形〜外〜科〜は〜、ど〜こ〜だ〜?」

 ハイハイできるのが嬉しくて、どこまでもどこまでも進み続ける留華。
 「危ない!」
 いつの間にか、ソファーの上にまでよじ登っていた。
 ぐらりとバランスをくずし、仰向けのまま今にも落っこちてきそうになっている。
 走る浩平。
 「ダイビング・キャ〜チっ、ごふぁ!!」
 辛うじて留華を受け止めたものの。
 勢い余って顔面を壁で強打。
 ソファーの手前のサイドテーブルが向こう脛にヒット。
 「……」
 無言で転げまわる浩平を、何か面白い物でも見るように、留華が覗き込んでいたりした。

 離乳食もそろそろ卒業になってきて。
 「あ、みてみて浩平。」
 「ん?何だ?」
 「留華、あ〜んしてみて、あ〜ん。」
 「あ〜。」
 大きな口をあける留華を指し示し、留美は微笑みながら告げる。
 「ほら、浩平。留華、歯が生えてきたわよ。」
 「お、本当だ。」
 小さくてかわいい歯が2本。
 と、思ったら口を閉じてしまった。
 「留華、もう一回あ〜んしてくれ。」
 ぶんぶん。
 留華、いやいやしたりして、ちょっぴりご機嫌ななめ。
 「む。それならこうだ。」
 むきになった浩平、指を入れてこじ開けようとする。
 「うう〜。」
 ますます嫌がる留華。
 が、力負けして無理やり口を開けられてしまう。
 「ふっふっふ。正義は勝つって、ぎゃー!!」
 がぶり。
 留華、反撃。
 口の中に入れられた浩平の指に、おもっきり噛み付く。
 「歯形が、歯形が!!」
 「大人気ないことするからよ…」
 ため息をつく留美の横で、歯形のついた人差し指をフーフーする浩平であった。
 
 その他にも、目を閉じれば浮かぶ育児にまつわるあれこれ。

 夜、眠ってくれない留華をあやしつづけて寝不足の留美を尻目に、そ知らぬ顔で寝てたらぶち切れた留美にひどい目にあわされたこと。

 なかなか増えない留華の体重のことをネタに、留美をからかってて痛い目にあったこと。

 熱湯で作ったミルクを留華に飲まそうとして、留美にどつかれたこと。

 熱を出した留美の代わりに、洗濯をしようとして、紙オムツを洗濯機でまわしてしまい、元気になった留美に追い掛け回されたこと。

 仰向けで這うようになった留華の後頭部を見て、素晴らしいニックネームをつけたら、留美にのされたこと。

 その留美をも倒した留華の姿に、受け継がれてしまった修羅の血を感じ、思わず本音が出たら、留美にしばき倒されたこと。

 等など。

 …微妙に痛い思い出ばかりのような気がしないでもない浩平だった。

 全部、自業自得とも言う。

 「本っ当にっ、いろいろあったなぁ。」
 そこはかとなく、伝う冷汗。
 「それでね、浩平。」
 そんな浩平の様子に気がつかず、留美は、ちょっぴりはにかみながら爆弾を落とした。
 「昨日、お医者さんに行ったんだけど、3ヶ月だって。」
 にこにこ。
 幸せいっぱいといった笑顔の留美。
 器用にも冷汗を流したままの笑顔の浩平。
 な〜んにもわからず、笑顔の留華。
 「ふ…」
 浩平が呆然と、呟く。
 「ふ?」
 問い掛ける留美。

 二人目…って当たり前。
 双子…ではないし。
 不幸…だったら撲殺決定。

 「ふり出しに戻ったー!!」
 
 浩平、魂の叫び。

 折原家は、今日も平和で幸せでありました。

 「お、俺の一年間の苦労は何だったんだぁぁ〜!!」

 多分、幸せ…?



 <後書き…?>

 以上を持ちまして、「折原家の育児日記」は一応の完でございます。
 2倍に増えた折原家の幸せと、浩平の苦労(笑)を書くネタがないわけでもないのですが、このお話を書いていくうちにラストはこうしようと決めてましたので、一応、これで、完、とさせていただきます。
 …リクエストが、もし、万が一あったりなんかしたら、その後の折原家も書くかもしれませんが、多分、それはないでしょうねって、自分で言ってて、ちょっぴり悲しかったり(涙)。

 なにはともあれ。

 このような作品を読んでくださった皆様と。
 ご自分のHPに掲載させてくださったKOH様に。

 心から、感謝を込めて。

 ありがとうございました。

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