折原家の育児日記 番外編3


匿名希望さん 作



 発車のベルが、無常にホームを切り裂き、少女の眼前でドアが閉まる。
 成す術もなく、呆然とそれを見ていた彼女を置き去りにして、列車が走り出す。
 一瞬の自失が、取り返しのつかない事態となったことを知った少女が。

 それでも。

 走り出す。

 電車を追って、ホームを。

 「待って、行かないでっ!行っちゃ嫌だ、おか〜さ〜ん!留華をすてないでぇ〜!!」

 「って、人聞きの悪いことを言わない!」
 視線という視線を、一身に浴びながら、走りだす留華をひしと後ろから抱きとめる、というか羽交い絞めにしているのは、当然というか何というか。
 留華が追っていった電車の中に、乗っていた筈の母親である、留美その人であった。

 「いったい、いつ、こんなとんでもないことを思いついたの!」 
 「えっとね、夕べおと〜さんとアニメ見てて、おと〜さんが、明日これをやったら面白いぞって」

 そういえば。
 昨日やたら二人で熱心にアニメを見ていた。
 修平を寝かしつけていた留美はうかつにも、その熱心さを見逃していた。

 『母をたずねて海底2万マイル』というタイトルのそれは。
 出稼ぎに行った母親を追っていった主人公の少女ルコが、母を訪ねているうちに、何故か海底に眠る古代アトランティス大陸の秘宝を巡る冒険に巻き込まれていくという、どこかで聞いた事があるような無いようなアニメであった。
 先ほど留華が演じたシーンは、アニメの冒頭で、主人公の少女が出稼ぎに行く母を懸命に追いかけてるシーンの再現らしかった。
 …主人公の名前もどこかで聞いたような気がする。

 それはともかく。
 諸悪の根源が、いつものごとく浩平であることを確認。
 帰宅後の浩平の運命を、留美が冷徹に決定した同時刻。

 ぞくりっ。
 動物的本能で、危機を察知した浩平は。
 「こ、今夜は残業をしていこうかなぁ」
 と呟いて。
 「鬼の課長にあれほど睨まれても、何処吹く風の、あの折原さんが!?」
 「て、定刻の折原が、残業だって!」
 「天変地異の前触れよ、きっと!」
 「いや、とうとう我が社が潰れるんだ!そうだ!そうに違いない!!」
 「まだ家のローンが残っているのにっ!!」
 「どうしてくれるんだっ!我が家には三浪の息子と、いき遅れの娘だっているんだぞぅ!」
 等と、周囲の同僚を恐怖のどん底に陥れていたりしていた。

 さて、こちらは遠足ご一行。
 常識的な両親に、常識的な教育を施され、すくすく育っている佳人が。
 「留華ちゃん、ホームを走ったりしちゃあぶないよ」
 と、公衆道徳を留華に説いて。
 「むう。佳人のクセにナマイキだっ!」
 非常識な両親により、非常識な教育を施され、たくましく育っている留華により。
 「ひたひ、ひたひほぉ〜、ひゃめへほぉ〜!」
 「何言ってるかわかんないもんね〜」
 思う存分、その柔らかなほっぺたを左右に引っ張られていた。
 「留華っ!!こら!やめなさい!!」
 「そんなに怒らないで、留美。こういうのも一種の愛情表現なんだと思うよ」
 「そ、そういうものなの?」
 自分の息子の頬が、目いっぱい左右に引き伸ばされている姿を見ても、にっこり笑ってそういえる瑞佳に、
 『い、意外とスパルタかも』
 と認識を改める留美であった。

 あいじょうひょうげんって、痛いものらしい。
 頬を引き伸ばされつづけながら、佳人は思った。

 というか、だれか助けて。

 「それに、佳人だって留華ちゃんに手を出しちゃうこともあると思うから、おあいこだよ」

 そんなこと、怖くってできそうにないんだけど。
 まだまだ頬を引き伸ばされつつ、佳人はそう思った。

 って、ほんとーにだれか助けて。

 十何年後。
 別の意味でそれが現実となることを、この場にいる当事者達の誰ひとり、知る由も無かった。

 …運命って不思議。

 ま、それはともかく。

 固まったまま、眼前の漫才なやり取りを眺めていた、幼稚園の教諭たちにより。
 やっと救い出された佳人と、まだ引っ張りたりなさそうな留華を含めて、その波乱に満ちた遠足は始まったのであった。

 平日の10時過ぎ。
 しかも、郊外の公園方面へ向かうローカル線とあって、列車の中は、ほぼ留華達幼稚園児とその父兄だけで。

 「この電車は我々が乗っ取ったぁぁ〜!」
 「留華!!」
 さっそく、ヒーロー戦隊の悪役ごっこを始めようと、座席の上に仁王立ちする留華を慌てて止める留美。
 「あ、ちゃんと靴はぬいでるから、だいじょーぶ!」
 「あら、それは感心、って、そういう問題じゃないっ!電車で悪役ごっこはしちゃいけません!」
 「ぶ〜!」

 わずか10分程の乗車時間でさえも。
 父兄全員退屈だけはせずにすみそうであった。
 というか、この際、タダで漫才を見ている気分で他人事。
 幸か不幸か、かかわりまくっている瑞佳と佳人親子は別にして、暗黙のうちに不干渉のルールが出来上がっていたのであった。

 …隅っこで、きりきり痛む胃を抑えている、留華のクラスの担任以外は。

 山川花子、二十ウン歳。
 一文字違いのコメディエンヌとは違って、目立つことが大の苦手。
 穏やかに。
 ただ穏やかに。
 純真な子供たちと、微笑みあう。
 そんな風に過ごす日々こそ幸福と信じる彼女が、何の因果か、日々波乱万丈クラスの担任。
 平穏という言葉を心より愛する彼女にとって、このクラスは、というか留華はサタンにも等しい存在であった。

 「い、胃腸薬を持ってくるべきでした…」

 …彼女の未来に、幸あらんことを。

 さて。
 程なく列車は、公園近くの駅に到着した。
 ダッシュで改札口を通り抜けようとした留華を、そうはさせじと捕まえる留美という一幕はあったものの、それ以上の大騒ぎを引き起こすことなく、とりあえず、記念写真のために集合とあいなった。
 当然、幼稚園児が大人しく集合などするはずもなく。
 あっちでごそごそ。
 こっちでごそごそ。
 そんな中、意外にも留美に大人しく寄り添っていた留華であったが。
 「ハ〜イ、じゃ、撮りますよ〜」
 と、フラッシュがたかれるその直前。
 「えいっ!」
 気合一発。
 すぐ隣に立つ佳人の、首を左腕でかき抱き。
 にっこり笑って、右手はとどめのピース。
 パシャッ。
 軽快なシャッター音の中、会心の笑みを浮かべた留華と、首を絞められ半べその佳人という、日頃の力関係を見事に表現した一枚が出来上がってしまっていた。

 後日、その写真を手に入れた浩平が、大きく引き伸ばしたうえに、額に入れて自宅に飾った為、留美に張り飛ばされる姿が目撃されたのだった。

 そんなこんなで、写真撮影も無事かどうかわからないが終了し、諸注意の後、集団での遊びとなった。

 が。

 「おべんと〜、食〜べ〜る〜の〜!」
 「待ちなさい!」
 お弁当の入ったリュックを、勢いよく開けようとした留華を、はっしと留め、他の園児達の輪の中へ連れて行く留美。
 その足取りは、すでにくたびれている。

 「そ、それじゃ〜、今から宝捜しをしますよ〜」
 数本の木をぐるりとロープで囲んだスペースを指差す、山川先生。
 「この中に、カードが隠れていますから、見つけた人は、園長先生のところまで持っていって、お楽しみ袋と交換してもらってくださいね」
 「ハ〜イ!」
 「じゃあ、よ〜い、ドン!」
 
 数分の後。
 「あったよ!」
 「ぼくも!」
 「わたしも!」
 園児達の声が次々とあがり、何名かが園長先生のところへ駆けて行く。
 その様子を、ぼんやりと見ていた留美だったが。
 「見つからないようぅ〜」
 「わたしもないよ〜」
 「ぼくのも〜」
 の声に、はっと我に返る。
 「まさか…」
 「これ、ぜ〜んぶ、留華のだもんね〜」
 と、得意満面に、カードを集めまくっていた留華を見つけて、一瞬でも目を離すんじゃなかったと反省。
 「こら〜、留華〜、カードは一枚だけなのよ〜!」
 と、声を張り上げたのだった。
 「先生は、一枚だけって言ってないのに〜」
 「屁理屈をこねないの!」

 すったもんだの末、やっとカードは一枚だけと納得した留華。
 というか。
 「あんまりわがまま言ってると、お弁当食べさせてあげないからね!」
 お弁当をたてに交渉した結果、不承不承返却に応じたのである。
 「おか〜さん、お〜ぼ〜!どくさいしゃ〜!!ですとろいや〜!」
 「留華、それ、意味わかってる?」
 「ううん!おと〜さんのマネ!」
 帰ったら、お仕置きひとつ追加決定。

 同時刻、浩平は。
 ぞくぞくっ。
 ますますひどくなる悪い予感に。
 「し、深夜まで残業してったりしようかな〜」
 などと呟き。
 「深夜までだって!?」
 「ありえないっ!ありえない事態が起ころうとしている!」
 「やっぱり破滅よ、破滅なのよ!」
 「ローンが、ローンがぁ!」
 「家には寝たきりの母と、乳飲み子が〜」
 「部長は何処?まさか、出張とは偽りで、一人だけ他の会社に売り込みにいったの?」
 「沈む?この会社は沈むのかー?」
 「や、やっぱりウオール街の悪夢なのねぇぇ!」
 等と、会社の混乱に拍車をかけてたりした。

 さてさて。
 お待ちかねのお弁当タイム。
 早朝からどたばたしただけあって、なかなかの力作と自負する留美。
 ひと目見た瞬間に留華は、瞳を輝かせて箸を握る。

 「わ〜、おいしそ〜だね〜、おか〜さん!」
 「ふふふ、そうでしょうとも」

 一口サイズのオニギリは、にっこり笑った女の子の顔。
 子供の口にあうように、少し甘めの卵焼き。
 冷めても美味しい唐揚げに、からりと揚がったエビフライ。
 たこさんウインナ−とたわむれるカニさんウインナ−。
 キューリは、摘み易いように一口サイズにカットして、プチトマトと一緒にピックに刺して。
 デザートにはイチゴも忘れずに。

 普段、どちらかというと料理はあまり得意ではない留美が、これだけ作り上げようとすると、時間もかなり切迫していて。
 興奮して一人で起きてきた留華を、浩平に押し付けて。
 朝御飯も早々に、なにやら喚いている浩平をきっぱり無視して。
 興奮して踊りだす留華を、チャイルドシートに括りつけ。
 今だ、我関せずと眠っている修平もチャイルドシートに固定して。
 まずは、留美の実家へGO。
 まだまだ眠ったままの修平を、そのまま両親に預け、返す車で幼稚園へすべり込みセーフ。

 「ま、修平はお母さんに預けておけば心配ないし」
 唯一の心配事といえば、孫に甘すぎる両親が、欲しがるままにお菓子など与えすぎないかということぐらいである。
 
 「…なんか、忘れてる気がするんだけど、なんだったかしら」
 「おいし〜ね〜、おか〜さん」
 「そうでしょうとも、お母さんがんばったんだから、留華の為にね」
 「ありがとう、おか〜さん」
 「ふふ、どういたしまして」
 微笑ましい光景。
 そして、こちらでも瑞佳の力作を前に微笑ましい光景。
 「おいしいね、お母さん」
 「ありがとう。今ごろお父さんも会社で食べてるかな?」
 「うん、きっと、お父さんも美味しいって言ってると思うよ」

 「………」
 一瞬の沈黙。
 「思い出したぁー!!」
 浩平の分のお弁当を、きっぱり、すっぱり忘れていた。
 「ま、いいか。お小遣い、一昨日渡したばかりだし」

 同時刻。
 会社近くの日当たりのよい公園のベンチで。
 財布にわずかに残った200円で、アンパンとコーヒーを買い、泣きながらそれを頬張る浩平の姿があった。

 「くぅぅ、ちくしょうぅ。今日のアンパンは、やけに塩っ辛いなぁぁ〜」

 なお。
 財布残金200円というのは、昨日、月初めにもかかわらず、冒頭のアニメDVDセット29,800円(税込)を、衝動買いした為であり、いわば自業自得であると。
 留美の名誉の為にも、ここに記しておこう。

 さらに同時刻。
 留美の実家にて。
 大好きなおじいちゃんとおばあちゃんに、あたかも王子様のごとく。
 テーブルの上狭しと並べられたご馳走(デザートに手作りプリン付)を、目を輝かせながら食べさせてもらう修平の姿があったことも、追加しておく。

 楽しいお弁当タイムも終わり。
 留華により、公園内の巨大滑り台での10人玉突き事故やら、ブランコでの地球の重力に挑戦等などあったものの、とにもかくにも遠足は、無事に終了した。

 電車の隅っこで、なかば魂がぬけ出しかけている山川先生の姿を別にすれば。

 「悪魔が…悪魔がやってくるわ…」

 …神も仏もいなかったらしい。

 やがて、列車はホームに到着し、幼稚園までさらにバスに乗ること10数分。

 バスを降りる頃には、留華はすでの夢の中。
 その場で、簡単な園長のお話の後に解散。
 眠っている時だけは天使な留華の、やわらかな寝息を背中に感じて、バス停から駐車場へ向かう留美。
 「おか〜さ〜ん…おべんと、おいし…」
 「くすっ。留華ちゃん、寝言で言うなんて、留美のお弁当、すごく美味しかったのね」
 同じように、夢の中をただよう佳人を背負いながら、瑞佳が微笑む。
 「そうまで喜んでもらえると、張り切った甲斐があったわ」
 笑みを返す留美。

 背中の重みは、幸せの証し。

 …例え、明日筋肉痛になろうとも。

 その夜。

 繰り返し遠足の楽しさを語る留華と、羨ましそうに聞いている修平の足元に。
 空腹に耐えかねて、結局定時に退社した浩平がボロボロになって転がっていたことは言うまでもない。
 お仕置き留美スペシャル×2恐るべし。
 
 …合掌。



 <後書き…?>
 
 というわけで、お待たせいたしました。

 はっ!?
 誰も待っていてくれなかったらどうしよう。

 …ま、まあ、それはともかく(汗)

 やっとできました、遠足編。
 本当は、実生活の遠足を踏まえて、遅くとも6月ぐらいから7月には書き上げるつもりだったのですが、諸事情により、こ〜んなに時期はずれなネタに(爆)
 以降、全てのネタが遅れていくことが決定いたしました(爆×2)
 
 こんな遅筆なSS書きですが、見捨てないで読んでいただけるとありがたいです。

《続く》    《戻る》 inserted by FC2 system